78年目の8月9日、長崎へ黙とう。
- 2023.08.09 Wednesday
- 11:02
JUGEMテーマ:世界平和
8月9日、午前11時2分。
本年も長崎の悲劇へ黙とうを捧げました。
まだまだたくさんいらっしゃるとの記事。
戦後78年、私たちは長崎や広島や
大戦中の世界各国の悲劇に想いを寄せ
悲劇から学び、平和への道を求めなければ
そうして逝った皆さまに申し訳ない。
遺された家族や縁者の皆さまの戦後は
まだ続いています。
JUGEMテーマ:世界平和
8月9日、午前11時2分。
本年も長崎の悲劇へ黙とうを捧げました。
まだまだたくさんいらっしゃるとの記事。
戦後78年、私たちは長崎や広島や
大戦中の世界各国の悲劇に想いを寄せ
悲劇から学び、平和への道を求めなければ
そうして逝った皆さまに申し訳ない。
遺された家族や縁者の皆さまの戦後は
まだ続いています。
JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学
昨夜から養老孟子さんとテーラワーダのスマナサーラ長老の対談を読みはじめました。
無知の壁: 「自分」について脳と仏教から考える (サンガ新書)
進行役は、釈徹宗さん。第1章の五戒のところ、養老さんは「意識には限界がある」、長老は「知識には限界がある」と。この論戦(?)、面白かった。養老「仏教の教えは、現代科学の「脳」という概念を使って説明するならば、脳幹と大脳辺縁系に支配権をあげないで、大脳新皮質が支配権をとれるようにすること」
昨今、マインドフルネス瞑想が流行っていて、人々が平常心を求めている気がします。養老さんの言う「大脳新皮質が支配権をとれるようにする」のにも、マインドフルネス瞑想は役にたつのかな❓ 禅のように、もっと深い瞑想が必要なのでしょうか❓
⤴に続く節で、長老「皆、現代人なので、なかなか知識至上主義を直そうとしない」と。
知識至上主義…というフレーズにちょっとドキリとしました。というのも、私は子どもの頃から躰が小さくて、ぼ〜っとしていて、いじめられるタイプで、たわいないいじめにあっていました。今にして思えば、いじめと言うよりいじられていた感じ。転校生だったし…。小学校にあがってからは、多少お勉強ができる子だと自覚して、知識武装をはじめた気がします。
そこで、病気になっても知識武装(笑) それが功を奏した経験もあります。あれは、知識武装ではなくて大脳新皮質によるコントロールだったと思いたい。。
ぼ〜としていて、いじられるタイプで、いつの間にか知識武装して生き抜く術、つまり知識によって自分を守る習慣を身に着けたた私。だから、重い病気に罹った時にも身を守るために、ドクターの治療方針を検証するために調べに調べました。これが功を奏して、自分にとって最善と思える治療を選べました。
命にかかわる病気に罹っても、ドクターにお任せの人は多いと思います。命にかかわればこそ、専門家であるドクターにお任せしようと思うかもしれません。もちろん、主治医との信頼関係は大切だけど、妄信、追従、依存とは違うと思います。人として生まれ、大脳新皮質によるコントロールを授かった私たちは、大脳新皮質の働きを磨いて、どんな苦境も自己決定によって越えていきたいものです。
もっとも、知識至上主義と大脳新皮質のコントロール、境目、難しいけれど(笑) 大脳新皮質のコントロールのつもりが、知識至上主義に陥らないように吟味しながら、大脳新皮質の機能を高めていきたいと思える良書でした。
JUGEMテーマ:70年代・80年代
バリに追いかけて
歌 芦部 真梨子(村本玲奈)
曲 小林幸司
詞 深田尚美(悠木そのま)
2番ゲートのタラップから あいつ
誰かと 甘いバカンス
バリへうわさを追えば
レゴン・ダンスのかがり火が揺れて
風になじみのトワレ
ほほをかすめ 振り返る
ばかにしないで
ハネムーン気取りで
仕事なんて しらじらしいわ
バリにおいかけて ロンリー・ウィングス
私 あとには引けないわ
バリにおいかけて ロンリー・ウィングス
ジェラシー ジェラシー ジェラシー
アイランド
デンパサルから夜間飛行ね
悪い夢を見ただけ
あしたは いつもの都会
ホテルのロビーに あなたがくれた
銀のブレス 置きみやげ
きっと あわててる頃ね
からかわないで 待たせてばかりで
いつまでゲームを 続けるつもり
バリにおいかけて ロンリー・ウェイブス
私 ふられてあげるわ
バリにおいかけて ロンリー・ウェイブス
ジェラシー ジェラシー ジェラシー
アイランド
【MEMORY】
80年代のはじめ頃、師に刺激されて、著作の世界をめざし、作詞もしていました。当時のペンネームは「深田尚美」。ドイツ文学者深田甫先生の弟子として、深田ファミリー所縁のペンネームをつけたかったのです。
「バリに追いかけて」の歌詞、こんなの今では書けない(笑) あの頃は、先生の情熱が転移していたとしか、思えない。どちらかといえば少女漫画チックな作風で、演歌を書いてもどろどろになれなかったのに…
大切な先生はこの春、天に召されました。私が知ったのは、4月1日のエイプリルフール。嘘ならいいのにと心から願い、お嬢さまにメッセージしたら、ほんとうでした。FBへ投稿した哀悼の意をこちらのブログにも転記します。
------------------------------------------------------------
卯月の訃報:永遠の逢瀬。魂を育ててくれた師が、心不全で亡くなりました。3月26日の夜、お子さま、お孫さまに看取られ、静かに旅立たれたそうです。幻想文学の奇才ホフマンを22年かけて翻訳し、全集を残した哲人であり、フジTVの「夕(ゆう)ニャン先生」として知られた時もありました。
18歳の春、同級生から「ドイツ文学研究会」に入らないかと誘われて、顧問だった師と出逢いました。研究会が解散した後も、鎌倉のご自宅をしばしば訪ね、温和な口元からほとばしる激しい言葉のしぶきを浴びました。分かることもありましたが、分からないことのほうが多く、それでも、熱いしぶきは滝のように私を打ち、魂を目覚めさせました。
20年と少し無沙汰をし、数年前のバレンタインデーの季節に再会したら、師は仙人のように枯れつつも、情熱の埋火をますますたぎらせていました。「奥さま」に先立たれた老師と恋に落ちるのも悪くないという妄想がよぎり、智恵の泉からほとばしるしぶきを口述でしたためたいと思いました。それなりに、構想も温めはじめました。
にもかかわらず、師の肉体のはかなさと私自身の肉体のほころびに思いいたれず、構想は夢の途中になりました。
師が亡くなった翌々日、恵那の田舎家に泊まっていた私は、三和土の硝子戸をかすめる影を見ました。その時には、家守の霊と思いましたが、師の旅立ちを知った今は、私に別れを告げにきてくださったにちがいない、そうであって欲しいと願っています。
師の訃報をまだ、受けとめきれていない私がいます。
肉体が仮の宿だとすれば、そして、魂の世界に時空間がないとすれば、師の逝去によって、私は師といつでも逢えるようになりました。今生でも彼岸でも来世でも、師と永遠の逢瀬を慈しめることを熱望します。合掌。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
JUGEMテーマ:別れ
今日の訃報:永遠の逢瀬。魂を育ててくれた師が、心不全で亡くなりました。3月26日夜、お子さま、お孫さまに看取られ、静かに旅立たれたそうです。幻想文学の奇才ホフマンを22年かけて翻訳し、全集を残した哲人であり、フジTVの「夕(ゆう)にゃん先生」として知られた時もありました。
18歳の春、同級生から「ドイツ文学研究会」に入らないかと誘われて、顧問だった師と出逢いました。研究会が解散した後も、鎌倉のご自宅をしばしば訪ね、温和な口元からほとばしる激しい言葉のしぶきを浴びました。分かることもありましたが、分からないことのほうが多く、それでも、熱いしぶきは滝のように私を打ち、魂を目覚めさせました。
20年と少し無沙汰をし、数年前のバレンタインデーの季節に再会したら、師は仙人のように枯れつつも、情熱の埋火をますますたぎらせていました。「奥さま」に先立たれた老師と恋に落ちるのも悪くないという妄想がよぎり、智恵の泉からほとばしるしぶきを口述でしたためたいと思いました。それなりに、構想も温めはじめました。にもかかわらず、師の肉体のはかなさと私自身の肉体のほころびに思いいたれず、構想は夢の途中になりました。
師が亡くなった翌々日、恵那の田舎家に泊まっていた私は、三和土の硝子戸をかすめる影を見ました。家守の霊と思いましたが、私に別れを告げにきた師の魂だったかもしれない、そうであって欲しいと願っています。師の訃報をまだ、受けとめきれていない私がいます。肉体が仮の宿だとすれば、そして、魂の世界に時空間がないとすれば、師の逝去によって、私は師にいつでも逢えるようになりました。今生でも彼岸でも来世でも、師と永遠の逢瀬を慈しめることを熱望します。
合掌。
JUGEMテーマ:キャリア
JUGEMテーマ:スキルアップ
本棚の整理をしていたら、なつかしい図書を見つけました。
コーチングが流行る前には、コーチングといえば、武田先生のコーチングと思っていました。同著は、スポーツにおけるコーチングのメカニズムを分析、解説した内容ですが、独立した頃には、部下指導をテーマとするセミナーで度々、パクらせていただきました(笑)
なお、コピーライターだった頃は「パクる」のがすごく嫌で、書けなくて書けなくて、苦しみました。そんな時、サザンの桑田さんが「音楽なんて、みんなパクリ」「どうせパクるなら、カッコよくパクろうぜ」と書いているのを見て、はっとしました。
パクリとコピーは違う! 音楽だけではなくて、ノーベル賞クラスは別かもしれないけど、科学ですら全くのゼロからの発見は少なくて、パクりながら進化してきました。
コピーはダメだけど、カッコよくパクって、オリジナルをヴァージョンアップして展開したり、オリジナルを超えればいいわけです! コピーライターを辞めた後は講師業も同じと思って、コピーではなくパクリに努めてきました。
さて、本題はなつかしの「コーチング 人を育てる心理学」。スポーツ界のトレーニング法ですが、組織や職場に展開できます。水分、パクらせていただきました。カッコよくパクったつもりですが、はてさて…。絶版で中古しかありません。図書館でも探してみてね!
JUGEMテーマ:介護
変わりない毎日こそ、何よりの幸せ!
…と、実感する朝です。
FBの過去投稿が、7年前のお雛祭りの日に
大腿骨骨折で入院していた母が退院
帰宅したことを教えてくれました。
日記替わりに、FBに投稿しておけば、
日々がちゃんと記録されて、こんな風に思い出せます!
この7年間、2018年8月にも同じ箇所を骨折した母。。
3か月入院したものの、無事に帰宅できたし、
昨年12月には駐車場の車止めにつまずいて額を打ち、
お岩さんみたいになって肝を冷やしましたが、
その後はより慎重に動くようになり、無事な毎日です。
歩みも動作も少しずつゆっくりになっているとはいえ、
今のところ、変わりない日常を続けていられる幸せ。
母はあと五日で、91歳になります。
#介護日記 #大腿骨骨折
JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学
今日の哲学?:浅ましさと愛しさと。
午後からの検査のため、朝から絶食で、ひもじい。。
街を歩けば、ランチの看板ばかりが目につき、
思案すべきことはたくさんあるのに、
夕食に何を食べようか。。としか考えられない。
たかだか半日、食事を抜いたくらいで、この体たらく。
昨夜も一昨日も先週も美味しい食事を堪能したはずなのに、
なんと浅ましいことか。恥ずかしく情けなく、恨めしい。
でも、そんな自分がそこはかとなく愛おしい。
生きているんだな〜!
生きているからお腹がすいて、ゴハンだけになっちゃうんだよな〜!
それも人間らしくて、いいじゃないかぁ。。とか、空腹を紛らわすために、
哲学もどきの繰り言をつぶやいている赤坂のお昼どきです。
JUGEMテーマ:コラム
週末のざわざわ:選ぶことは捨てること。
NHK朝ドラ「スカーレット」の第102回でたった1度流れただけなのに、
信楽太郎さんの唄う「さいなら」が話題になっているみたい。
先週の土曜日、私も出勤前に視ていて、思わず泣きました。
なんでやろ?
仕事のために、何かを犠牲にしたつもりはさらさらないけれど、
仕事が面白くて、結果として選ばなかったものはたくさんある。
陶芸に打ち込んで、大好きなハチさんと離婚した主人公のキミコに
自分がかさなっちゃうのかな…。
あるものを選ぶと、選ばなかったものを捨てることになる。
2020年は変化の年で、明後日は立春を過ぎて初の満月だから、
何を選び、選ぶことで何を捨てるのか…失うのか、考えてみよう。
それにしても、朝ドラの脚本家さん、
キミコとハチさんを元のさやに戻してあげてね。
現実は厳しいから、せめてドラマだけは嘘臭くていいから、
ハッピーエンドでお願いいたします! 知らんけど(笑)