学びの森を散歩する vol.6 子どもに教え、教えられて

  • 2010.03.17 Wednesday
  • 21:11
JUGEMテーマ:スキルアップ

子どもに教え、教えられて

[NOSAIぐんま 2005 SPRING vol.83(4・5月号) 掲載]

中学2年生(当時)の姪っ子が「英語がしゃべれるようになりたい」と言うので、通信教育の教材を取り寄せました。教材は独習用ですが、ひとりで練習を続けられる子供は多くはありません。「私もやりたい」とうそぶいて、二人で一緒に練習することにしました。

今では、週に何度か、姪っ子と声を合わせて英語の物語を読むのが習慣になりつつあります。初めはDVDの映像や音声についてこられなかった姪っ子も最近、なんとか追いつけるようになりました。本人も上達を感じるせいか、声も表情もいきいきとしてきました。

練習を終えたある午後、姪っ子が唐突に「おばさんは勉強が好き?」と尋ねました。私が「好きじゃないよ」と答えると、けげんな表情を浮かべます。彼女は、私が大学を2度卒業し、今は社会人大学院に通っていることを知っています。私が本を読んだり考えたり、パソコンで何かを書いたりする姿をいつも見ています。「おばさんは勉強が好きな人」と思っていたのでしょう。

私はつけ加えました。「好きではないけれど、勉強することでいろいろなものが手に入る。だから勉強しようと思うの」と。分りにくいかと思い、「たとえば、お金とか地位とか…」と補いかけて、はっとしました。

確かに、私たちは学びによって知らないことを知り、分らないことを分け、できないことができるようになり、自分の可能性を広げ、その広がりをとおして、いろいろなものを手に入れるようになります。それはモノやカネであったり、名誉やステイタスであったり、人間関係であったりいろいろです。私も学びによって、いろいろを手に入れました。

けれども、姪っ子に「お金とか地位とか・・・」と言いかけた時、私の無意識が「それだけではないよ」とささやきました。学びは知らなかった自分を見つけ、新しい自分を創り、内なる自分を育てていく手伝いをしてくれます。そして、育ち続ける自分を感じる喜びを与えてくれます。私はその喜びを感じたくて学んでいます。その喜びを伝えたくて、教育家という仕事をしています。

姪っ子と語り合いながら、「なぜ、私は学ぶのか」「なぜ、教育家でいるのか」を知りました。姪っ子はその日、私の先生になりました。

学びの森を散歩する vol.5 学びは遊び、遊びは学び

  • 2010.03.02 Tuesday
  • 21:50
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イルカから、オットまで

[NOSAIぐんま 2005 WINTER vol.82(2・3月号) 掲載]

イルカのトレーナーは、イルカが上手に芸をすると魚を与えます。イルカは魚がもらえると思って、芸を繰り返します。これを「強化」と言います。強化とは、ある行動をすると何かが起こり、その何かが起こることを期待して、行動が繰り返されるようになることです。動物にかぎらず、人も強化されます。

私は子どもの頃、母の肩をたたくのが大好きでした。母は「手が痛くなるから、もういいよ」と言いながら、とても嬉しそうでした。母の喜ぶ顔が見たくて、私は肩をたたき続けました。今では、姪が私の肩をたたいてくれます。私が「もういいよ」と言っても、「まだまだ」と随分長くたたいてくれます。子どもたちは大人の喜ぶ顔を見たくて、肩たたきやお手伝いという行動を繰り返すのです。 

あらゆる行動が強化されるわけではありません。とはいえ、部下や子どもや配偶者の行動を望ましく変えたい時、「強化の訓練」を試してみるのもよいでしょう。部下の遅刻を改めたい時、子どもに門限を守る癖をつけたい時、夫に脱いだ靴下を洗濯機に入れて欲しい時・・・。

たとえば、何度叱っても靴下を脱ぎ散らかす夫を叱り続けるのは、得策ではありません。叱るとはひとつのコミュニケーションです。コミュニケーションは快適でも不快でも無いよりはマシなので、夫は靴下を脱ぎ散らかす行動を繰り返します。そこで、叱る代わりに口をきかないようにします。一方、夫が靴下を洗濯物まで運んだら褒美を与えます。褒美といっても金品ではなく、褒めたり笑顔を見せたりするだけで十分です。

この時、タイミングに気をつけます。望ましい行動が起こったら、すぐに褒美を提供します。部下がよい仕事をした時も「あの時はよくやった」と褒めるより、よくやった瞬間に褒めましょう。また、望ましい行動が身についたら、褒美の頻度を減らすのもコツです。褒美いつももらえると、驚きや喜びが薄くなるからです。たまに「当たる」から繰り返したくなるのは、ギャンブルと同じ心理とか。

強化の訓練は人を操作するとして、敬遠されることもあります。強化の訓練にかぎらず、すべての教育は人の成長を願って行われた時にこそ意味あるもの、と私は信じています。

学びの森を散歩する vol.4 育つために 育てるために

  • 2010.02.26 Friday
  • 23:10
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育つために、育てるために

[NOSAIぐんま 2004-2005 SUMMER vol.81(12・1月号) 掲載]

冬が深まる季節になると、亡父とともにスケートを楽しんだ思い出がよみがえります。その頃は横浜に住んでいて、「子供の国」のスケートリングへ毎週のように出かけていました。手ほどきのないスケートがすこし上手くなったのは、オリンピック選手だったジャネット・リンさんのおかげでした。

札幌での冬季オリンピックの開幕式、リンさんは聖火を掲げ、競技場をゆっくりと滑っていました。テレビ画面に映る美しい姿をじっと見つめていた私は、瞳のスクリーンにその姿を焼きつけました。そして翌週、スケートリンクでリンさんの足の運びを真似してみました。驚くほどスムースに滑ることができました。モデリング(真似する)という「学び方」を学んだ貴重な体験です。

子供は親を真似して、ことばやふるまいを覚えます。画家は模写をして、眼と腕を鍛えます。弟子は師を真似て芸を磨きます。「真似ることは学ぶこと」、モデリングは私たちにとって古くからなじみのある「学び方」です。私たちは仕事もモデリングで覚えていきます。上司や先輩が仕事の手順や勘所を示し、部下や後輩が真似する・・・。OJT(オージェイティー)(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)です。職場で仕事に就いての訓練と訳されています。

OJTのコツを山本五十六は「して見せて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は育たじ」と表現しました。モデル(手本)になったら、見せて語れて、ほめてやれるか・・・。わが身をふり返るよい機会です。モデルが知っていること、できることしか教えられないのがOJTですから、仕事の幅を広げて、よりよいモデルへと自分を育てていきたいものです。そのためには、上司や先輩になってもつねに、自身のモデルを探します。職場だけにとどまらず、師とあおげる人を求めて、交流を広げていくのです。

「学び方」を学ぶことをメタ学習と言います。モデリングが上手になることも、教え上手になることも、師を求めて世界を広げていくこともメタ学習です。育つために育てるために、学びに天井はありません。


【2010.2.26のつぶやき】

本日、バンクーバーオリンピック 女子フィギュアが終わりました。

韓国 キム・ヨナ選手が金メダルをとりました。
日本期待の浅田真央選手は銀メダル。

それぞれに素晴らしかった。。。

持てる技術の差はわずかだったように見えましたが
キム選手のメンタルの強さが、演技を伸びやかにしました。

ニッポンがんばれ、技よりも心を強く鍛えましょう!

学びの森を散歩する vol.3 促成栽培から、路地栽培へ

  • 2010.02.11 Thursday
  • 20:40
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促成栽培から、路地栽培へ

[NOSAIぐんま 2004 AUTUMN vol.80(10・11月号) 掲載]

若手は正直です。その正直さに教えられることがままあります。先日も、新入社員研修の受講生アンケートを読んでいて、はっとすることがありました。

「講師は『ここは覚えておいてください』と言ったが、覚えるのにはどうしたらよいのか。どのようにしたら覚えられるのか、覚え方を教えるのが講師ではないか」

新入社員の心細さ、焦りを感じました。次から次へと覚えることばかりの毎日。いい加減にしてくれ・・・とうんざりしている時に、「覚えなさい」ではカチンときたことでしょう。研修には時間の制約もあり、消化しきれない内容については自己学習を勧めざるをえない時もあります。そんな時には、もっとやる気にさせるガイダンスをしようと、素直に反省をいたしました。

一方で、複雑な気持ちもありました。「覚え方」つまり「学び方」を自ら考えない若手に、いらだちを禁じえなかったのです。彼ひとりの問題ではありません。教えてもらって当たり前、教えてもらえるまで覚えない、考えない若手が増えているように思います。若手を責めるつもりはありません。責められるべきは私たち「先人」かもしれません。

学校教育については分かりませんが、職業人教育をふりかえると、経済成長とともに人材育成にも効率が求められるようになりました。かつては教えてもらえないのが当たり前、仕事は盗んで覚えるものでした。これでは育成に時間がかかるので、マニュアルをもとに画一的な指導をするようになりました。マニュアルが基準だから、上司も自分の基準を持たずに指導ができるようになりました。 

こうして促成栽培された野菜たち・・・。彼らはこれから、予期しかねる時代の新しい問題、難しい課題に直面していかねばなりません。つたなくも先人である私たちはそろそろ心を鬼して、彼らを野に放ち、打たれながらも生きていく力を育てなければならないのかもしれません。

学びの森を散歩する vol.2 学びは遊び、遊びは学び

  • 2010.01.11 Monday
  • 14:07
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学ぶ喜び、育てるゆとり

[NOSAIぐんま 2004 SUMMER vol.79(8・9月号) 掲載]

 5年ぶりにサンフラシスコを訪ねました。キャリアカウンセリングの国際大会に参加するためです。今年(2004年)は、日本人もたくさん参加していました。キャリアカウンセリングが急展開していることを実感いたしました。

 さて、開会レセプションで知り合った日本人夫妻がダウンタウンで買い物すると言うので、ご一緒することになりました。ご主人は道路の名前を地図で確認しながら歩いていきます。不慣れな様子を気の毒に思い、サンフランシスコが5回目の私は、道案内を買ってでました。ユニオンスクエアの手前で夫妻と分かれた時には、ちょっとした人助けをしたように思えて、なんとなくよい気分でした。

 別の日の夕食では、日本からのグループで中華を囲むことになりました。チャイニーズタウンの外れの店を予約したところ、地図では分かり難い場所にあります。ひとりの女性がそのあたりの道をよく知っているとのことで、道案内をしてくれました。彼女のおかげで、スムースに店に到着できました。

 けれども、私は道案内されながら、ほんの少し寂しい気持ちを感じていました。旅先で知らない道を探し、目的地にたどり着く喜び…。旅の小さな喜びを失ってしまった寂しさとともに、地図を片手にユニオンスクエアをめざしていたご主人を思い出しました。私は彼の喜びを奪ってしまったかもしれないと気づき、申しわけない気持ちになりました。新しい体験をとおして、新しい知識や智恵を得たり、新しい世界を拓たりすることを「学び」というならば、私は道案内によって、ご夫妻の「学び」の喜びをも奪ってしまったのです。
 
 私たちは知っていることをついつい教えたくなります。もちろん、それが必要な時もあります。ただし、教えることによって「学び」が邪魔されることもある、と覚えておかなければなりません。上司も教師も親も、時には知っていることも知らないふりをして、「学び」を育てるゆとりを持ちたいものです。

学びの森を散歩する vol.1 学びは遊び、遊びは学び

  • 2009.12.19 Saturday
  • 23:30
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学びは遊び、遊びは学び

[NOSAIぐんま 2004 EARLY SUMMER vol.(6・7月号) 掲載]


この春
(2004年4月)から社会人大学院に入学いたしました。教育ファシリテーション専攻という日本初のコースで、体験学習の研究を始めたのです。友人たちから「その歳になって、まだ勉強するの?」とひやかされ、ちょっと考えてしまいます。

私は何故、この歳になって勉強を続けているのだろう?
そして、入学から約1ヶ月が過ぎた頃、ふと、学ぶことを楽しんでいる自分を発見しました。

新しい知識に触れた時、先人の不可思議なことばが理解できた時、思いもよらぬ気づきがあった時、気づきの喜びを教官や同級生と熱いことばで分かち合う時、私は自分の瞳が少女漫画のヒロインのように、きらきらと輝いていることを実感します。

私は自らの探究心が満たされた時に、心から喜べる人間であると知りました。

先日は「種子の授業」として知られる体験学習に参加しました。枝豆をじかに触って、これが種皮、これが子葉・・・と確認し、クレヨンで枝豆の絵を画いて、枝豆と十分に交流した後、黒い布をかぶって種子になり、植物へと成長するというファンタジーを体験いたしました。

ビールのつまみとして、普段はなんの気なしに口に運んでいる枝豆の命を感じました。

とても神聖で、新鮮な気づきでした。

「勉強」ということばには、よい学校に入り、よい会社や組織に就職するための手段という響きがありますが、「学び」ということばには人が生きていくための智恵、人が成長するための糧という響きが伴います。

私は生きるため、成長するための「学び」を大切にしたいと思います。そして、子供にも大人にもそれぞれの「学び」を得るための「学び方」を伝えていきたいと願っています。

「学び」は「遊び」であり、「遊び」の中にも「学び」があります。今年(2004年)の連載では、学びながら遊ぶ、遊びながら学ぶコツを紹介していきます。なりたい自分になるために、学びの森の散歩を始めましょう。

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