老若男女のキャリアデザイン vol.6 生きるから生かされるへ

  • 2010.08.25 Wednesday
  • 23:49
JUGEMテーマ:キャリアデザイン

生きるから生かされるへ
〜自己実現をいかに果たすか〜

[時 局 2006 6月号 掲載]

 小学生の頃には、ファッションデザイナーになりたいと思っていました。ピアニストや画家に憧れる気もちもありました。中学校の文化祭で友人たちと自主グループを組み、神話劇『ゼウスとプロメテウス』を演じてからは、女優という仕事に惹かれ、高校では演劇部に属しました。仕事とは興味、能力、価値観を表現するものです。私は芸術の世界に深い興味をもっていましたが、職業にするには能力が足らないと自覚していて、芸術の道を選びませんでした。好きなだけではなく、得意でなければ、道を極めることは難しいでしょう。安定した暮らしという価値観が損なわれるかもしれません。その時、その道を選ばなかったことは、私にとって適切な選択だったと思います。

 そんなわけで、私は長い間、自らのキャリア選択について「興味は深かったけれども、能力が不足していたので、芸術家にならなかった」と語るとともに、「来世ではピアニストか画家か女優になりたい」と語り添えてきました。そして、ある時、気づきました。『みんなのキャリアデザイン〜なりたい私になるために〜』という本を書いた私が「来世では…」と語るのは情けない、来世はないかもしれない、来世があっても来世の私は今生の私を覚えてはいない、来世では「なりたい私」は実現できない、今生で「なりたい私」になろう。

 そして、一昨年の秋、プレイバックシアターという芸術であり社会活動でもある即興劇と出会い、昨年の夏に劇団『名古屋プレイバックシアター』を旗揚げし、私は女優になりました。この劇団は、仲間たちと営んでいる特定非営利活動法人キャリアデザインフォーラムの下部組織として結成したものです。ですから、劇団員たちは即興劇を楽しみながら、社会貢献をめざしています。昨年はニートをはじめとする若年者のキャリア支援を目的として、愛知県、名古屋市主催の各事業において公演いたしました。女優の仕事は職業ではありませんので、生計を支えてはくれないものの、私をより私らしく生かしてくれます。仕事とは人生における様々な役割に伴う仕事を意味します。女優という仕事は私にとって「余暇人」という役割、「市民」として役割に伴う仕事を与えてくれました。

 ところで、私の職業は人材開発プロデューサーです。人々のキャリア形成を促すために、研修をはじめとするキャリア開発の仕組みづくり、仕掛けづくりをプロデュースしています。キャリアカウンセリングもいたしますし、ビジネススキルと呼ばれる職業能力の訓練も行い、私は自らをキャリアアップとスキルアップを両面から応援する教育家と思っています。

 実のところ、人材開発を職業にしたのも、ボランティア団体を設立したのも、劇団を結成したのも、人々がそれぞれのキャリアと人生を豊かに創造するのを手伝いたいと願ったからです。ですから、女優の仕事も教育家という職業も私にとってはコインの裏表です。あるいは、女優でなくても教育家でなくてもよかったのです。芸術や教育への興味、コミュニケーションやプロデュースのスキル、平和にいきいきと暮らしたいという価値観があって、今はたまたま女優、教育家の仕事をしています。けれども、本当に願っているのは、私という存在を、社会をよりよく変える道具として使いたいということです。

 ふりかえれば、幼い頃に教育家になりたいと思ったことはありません。女優になりたいとは思ったけれども、なれるとは思いませんでした。私は自らの意志でこれらの仕事を選んだわけではなく、秘書、コピーライター、経営コンサルタントという職業を経て、気がついたら教育家になり、縁に背中を押されて女優になっていました。ずいぶん若い頃から、私は自らの力を信じ、自らの力で道を拓いてきたと信じていました。今では、私が歩んできた道は、もっと大きな意志によって歩まされてきた道のように思えます。

 道は拓いてきたのではなく、拓かれてきたものであり、拓かれていくものです。拓かれていく道の途にあって、私は一生懸命に歩むのみです。一生の命を懸けるほど、今を踏みしめて歩むのみです。大きな意志はこれから、私を用いて、何を果たしていくのでしょう。生きるから生かされるへ。自己実現とは生かされている命を生きることかもしれません。

老若男女のキャリアデザイン vol.5 人生の正午を過ぎるとき 

  • 2010.07.15 Thursday
  • 17:27
JUGEMテーマ:キャリアデザイン

人生の正午を過ぎるとき
〜中年危機をいかに乗り越えるか〜

[時 局 2006 5月号 掲載]

 「中年危機」問題が静かにクローズアップされています。4人に1人が「ミッドライフクライシス(中年危機)」に直面していると言われる米国では、中年セレブの生活を描いたTVコメディがヒットしているようです。主人公は、巨万の富と名声を手に入れたハリウッドのコメディアン兼カリスマプロデューサー。満たされているのに足らない空虚、わきおこる疑問、あふれる愚痴、中年セレブの姿に視聴者は自らを重ねるのでしょうか。

 日本で「中年危機」問題が取りざたされるようになったのは、平成10年に自殺者が3万人を越えてからです。それから7年にわたって(2006年3月時の統計)、自ら命を立つ人年間3万人を下りません。厚生労働省では、自殺数の急増は45〜60歳の中年男性の自殺の増加によるところが大きいと見ています。そして、『自殺予防に向けての提言について(2002年)』では、背景にリストラや倒産、借金苦、過重労働など社会的な要因があると述べるとともに、「中年危機」問題を指摘しました。
 
「長年、社会生活を送る中、自らの能力の限界や行き詰まりを感じ、また、健康上の問題も顕在化してくる。さらに、子どもの自立、配偶者との関係の変化、親の病気や死等、家族の問題も重なる時期であることから、心の健康問題を抱えやすい」
中年期では体力的、精神的な衰えが始まるのに加え、家庭や職場での問題によって心身の不調を抱えやすく、男性では45歳位、女性では35歳位で中年危機に入ると言われています。これまでの生き方に疑問を持ったり、青年時代にやり残したことを悔やんだり、現実から逃避したくなる人も少なくありません。

 私は40歳をすぎて銀行系のシンクタンクを退職し、外から見れば順風満帆な独立を果たしながら、独立早々から5年ほど、心の揺らぎを感じ続けていました。それは説明できない感覚であり、自分が自分でないような、自分を自分で否定しているような、心のめまいとも呼びたい揺らぎでした。腹をくくっての独立でしたから不安はなく、生活や仕事には不足も不満もなく、明確な理由は見当たりませんでした。それなのに「何かが違う」のです。ある時は居てもたってもいられず、ある時は意気消沈しました。恵まれた環境にあってもこうですから、社会的に追い詰められ自殺を選ぶ人の辛さははかりしれません。

 心の揺らぎが中年危機だったと知ったのは、揺らいでいない自分を感じた時でした。いつの間に揺らがなくなったのか、どのようにして揺らがなくなったのかは、はっきりとは分かりません。ある日、ふと揺らぎを感じていない自分に気づき、「この私でよいのだ」「この私がよいのだ」という実感を得ました。その瞬間、これまでは中年危機だったのだ、そして、中年危機は終ったのだ、と知りました。

 「人生80年、40歳は人生の正午」と述べたのは、分析心理学の始祖C.G.ユングです。ユングは「中年危機」を人生の前半から後半へと移行する、重要な過渡期と考えました。東から昇る太陽は惜しみなく陽射しを注ぎ、やがて正午を過ぎると、西の山端へと隠れていきます。同じように、人生の正午を過ぎた陽射しは内面へと向かい、輝いていた子育て、蓄財、社会的な業績は色あせて見えるようになります。価値のものさしが変わって、人は自己実現にめざめ、静観の日々を歩み始めると言われます。

 中年危機を過ぎた後、私は外的なキャリアよりも内的なキャリアを大切に思うようになりました。昨年、ボランティアの即興劇団を結成してキャリア教育に心理即興劇という手法を導入したのも、社会活動への想いが強くなったからです。私はこれまでの半生では一生懸命、自分のために生きてきました。これからの半生は自分のためだけではなく、望ましい社会を築くために生きていきたいと心から願っています。

 中年危機は人生の峠です。越えるのは辛く、苦しいけれども、越えた先には新しい景色が待っています。昨今では、中年危機の若年化が報告されており、25歳位で危機を迎える人もいるようです。若いうちから峠越えの覚悟を培い、人生半ばの峠越えをとおして自分らしい自分を生きる知恵を獲得していきたいものです。

老若男女のキャリアデザイン vol.4 消しゴムで消したい人生も

  • 2010.07.01 Thursday
  • 05:00
JUGEMテーマ:キャリアデザイン

消しゴムで消したい人生も
〜キャリアはいかに描くのか?〜

[時 局 2006 4月号 掲載]

 「キャリア」と聞くと、管理職や専門職、官僚、キャリアウーマンなどを連想する人が多いようです。とはいえ、キャリアとは仕事に関わる経験の軌跡であり、「人生のわだち」です。特定の人だけではなく、誰もがそれぞれのキャリアを描いています。しかも「仕事」とは「職業」よりも広い概念ですから、たとえば専業主婦は妻、母という役割に伴う「仕事」の経験を蓄積し、専業主婦というキャリアを描いています。無償ボランティアは市民という役割に伴う仕事の経験を蓄積して、キャリアを描いています。

 勝ち組、負け組ということばが流布しはじめてから、どのくらいたつのでしょう。耳障りな流行語ではあるものの、キャリアと聞けばキャリアアップがイメージされ、キャリアアップといえば勝ち組がイメージされてきたとも思えます。けれども、本当のキャリアアップとはいわゆる勝ち組になること、つまり、社会的な成功や経済力を手に入れることではありません。仕事をとおして自分らしさを発揮し、自分らしい人生を実現することです。ですから、いわゆる勝ち組になったとしても、自分らしい働き方、生き方を全うできていないとしたら、キャリアアップを遂げたとはいえません。

 もっとも、勝ち組になることが自分らしい働き方、生き方という人もいるでしょう。それもまたキャリアであり、キャリアアップです。但し、勝ち組になるというキャリアアップの道程で、他者の尊厳や心身や財産を損なったり傷つけたりしないことが前提です。キャリアアップが勝ち組になることではないならば、ニートやフリーターという働き方、生き方もそれもまたキャリアと思えてきます。但し、成長したら自立し、親や誰かに過度に依存せずに生きていくことが前提です。

 いずれにしても、キャリアという経験の軌跡、人生のわだちは意識していてもいなくても、いつのまにか描かれていきます。そして、描かれたキャリアは自らにとって好ましかったり好ましくなかったりします。社会や経済の動きや流れが激しい現在、自らにとって好ましいキャリアを描くために<キャリアデザイン>という、キャリアヴィジョン(将来像)をイメージし、実現の目標と計画をたてる手法が注目されているのです。

 ところで、キャリアデザインによって、将来のキャリアを好ましく描くことはできるとしても、過去はどうでしょう。過去のキャリアが好ましくないとしたら、どうすればよいのでしょう。その時には、キャリアを描き変えます。そんなことができるのでしょうか。確かに、事実を変えることはできません。けれども、キャリアは描き変えられます。何故ならば、キャリアとは仕事に関わる経験の「記憶」ともいえるからです。

 私は大学を卒業してすぐに商社に入り、部長席の秘書として配属されました。皇居を見晴らす立地、整ったオフィス、給料も福利厚生にも恵まれ、本当に申し分のない職場でした。けれども、秘書という職務は適性に合わず、たった一年で退職しました。私は長い間、この経験を後ろめたく思い、人生におけるシミのように感じていました。消しゴムで消してしまいたい、時間を巻き戻してやり直したいと思っていました。やがて、三十歳を過ぎて、経営コンサルタントとして再就職した後、その事実を消したいと思わなくなりました。超大企業を垣間見られた一年をとても大切な経験、と思えるようになったからです。私のキャリアからシミは消え、描き変えられました。

 過去は記憶でできています。思い出せるもの、思い出せないものがあるのは、脳がその人にとって意味のある記憶しか呼び出さないからです。経験の意味が変われば、消しゴムで消したい事実を思い出さなくなったり、思い出しても不快に感じなくなったりします。くどいようですが、事実は消したり変えたりできません。キャリアを描き変えるというのは、創作や詐称とは違います。キャリアという「線」は経験という「点」によって描かれますから、どの「点」で描くのか、どのような「点」として描くのかを自ら選べるというわけです。キャリアデザインは将来のみならず、過去をも豊かにしてくれそうです。

老若男女のキャリアデザイン vol.3 すべては夢からはじまる

  • 2010.06.21 Monday
  • 08:52
JUGEMテーマ:キャリアデザイン

すべては夢からはじまる

〜キャリアはいかに築くのか?〜

[時局 2006 3月号 掲載]

 その時、私は二十五歳。広告代理店の下請けの制作プロダクションに出入りして、広告文案を書く仕事を請け負っていました。コピーライターという仕事です。プロダクションのひとつに、社長を除けば全員女性という会社がありました。社長は黒子の立場に徹していて、現場のトップは瞳のとても大きな「デメさん」と呼ばれる女性でした。知り合ってまもなく、デメさんは三十歳をむかえ、誕生日会が開かれました。彼女は乾杯の挨拶で、会社を任され好きな仕事とよい仲間にめぐまれ、素敵な三十歳を迎えられて嬉しいと語りました。恥ずかしがり屋の彼女の誇らしげな表情を、昨日のように思い出せます。私はこの時、「三十歳になったら、デメさんのようになりたい」という夢をもちました。

 やがて、三十歳になっても彼女と同じようにはなれないと気づいた時には戸惑い、悩みました。そして、気持ちの試行錯誤を経て、二十八歳で母校の商学部に編入してマーケティングを学び、三十歳で銀行系のシンクタンクに入社しました。言ってみれば、出直しです。組織人として、新しい職務である経営コンサルタントとして、新入社員にもどったつもりで仕事に励みました。実のところ、いつかは会社を辞めるだろう、と心のどこかで思いながらの入社でした。とは言え、入社時に具体的な退職プラン、独立プランがあったわけではありません。会社に属した十一年のうちの初めの五年ほどは、会社と運命にほとんど身を委ねていたように思います。

 三十路も半ばを過ぎる頃、私らしい働き方は組織人として働くことではない、という確信を強くしました。収入が減っても会社のブランド力を活かせなくなっても、自分にとって意味のある仕事を意味のある方法で全うすることこそ、私らしい働き方であると悟ったのです。それから、真剣に独立を考え始めました。バブル経済はすでに破綻し、事業の内容も顧客も固めずに独立するのが無謀であることは、自明の理でした。それなのに、私的な事情をきっかけに事業内容も曖昧なまま独立をしました。五年前(2006年当時)の節分の頃でした。無計画な独立だったのに、今の自分が在ることは少なからず不思議な気分です。

 すべては夢からはじまる・・・。私は三十歳ではなく四十歳で、「デメさんのような私」になりました。十年遅れといえども夢を実現したのは、二十五歳のあの日、その夢を描いたからこそと信じています。夢とはこころのイメージであり、映像です。私たちの脳裏にいったん映像が描かれると、脳はそれを現実と勘違いして、感覚、感情、思考、行動をコントロールし始めるそうです。そこで、私たちは自らが描いた将来像のように感じ、考え、ふるまうようになり、やがて将来像そのものに成っていけます。

 将来のキャリアについての映像を<キャリアヴィジョン>と言い、キャリアヴィジョンを描き、目標とプロセスを設計することを<キャリデザイン>と言います。私たちはキャリアデザインによって、自らの将来を実現する力を得ることができます。もっとも、キャリアヴィジョンは簡単には描けないかもしれません。それは神様がプレゼントしてくれる、インスピレーションのようなものです。けれども、ヴィジョンとは映像ですからデメさんのような<ロールモデル>、生き方や働き方のお手本になる人が見つけると描きやすいかもしれません。さらに、デザインが進まない時期もあるでしょう。私もいつか会社を辞めるだろうと思いつつ、目先の仕事に追われ、将来を見つめることのない年月がありました。独立を意識してからも、具体的なプランはなかなか描けませんでした。それでも、二十五歳のあの日から、私は私の脳の勘違いに導かれて夢を実現し、今の私に成りました。

 さあ、自らのこころに問い、こころの声を聞き、自らが望む将来をヴィジョンとして描きましょう。こころの声が聞こえてこない時には、すべきことを果たしながら時が熟するのを待ちながら諦めないで焦らないで、こころが声をあげるまで根気よく問いましょう。私たちには、自らが望むものを手に入れる力があります。だからまず、自らのこころに問いかけるのです。私は何を望んでいるのですか、と・・・。

老若男女のキャリアデザイン vol.2 ニートから教わること学ぶこと

  • 2010.06.10 Thursday
  • 00:29
JUGEMテーマ:キャリアデザイン

ニートから教わること、学ぶこと
〜人生の主人公は誰なのか?〜

[時局 2006 2月号 掲載]

 働きたいのに働ける職場が見つからない、働きたいのに仕事や職場を探そうとすると立ちすくみ、立ち止まってしまう…。働かないのではなく、働きたいのに働けない若い人たちがいま、この日本にたくさんいます。フリーターと呼ばれる人たちは、パートタイマーやアルバイトを時々するけれども、正業に就いていません。ニートと呼ばれる人たちは学校に通っていないのに就職はしておらず、職業に就くための訓練も受けていません。

 青年期は自己を見つめ、自己を探る時期であり、誰でも試行錯誤をしたり挫折感を味わったりして成長します。ふとしたつまずきから家に閉じこもったとしても、ほんの少しドロップアウトしても、目くじらをたてすぎるのは如何なものか、と思います。そうは言っても、フリーターやニートと呼ばれる状態が長引けば長引くほど、社会の輪に入り難くなります。具体的には、正業どころか生業にも就き難くなります。自己実現につながるライフワークどころか、食べていくためのライスワークにすら就けなくなっていくのです。

 社会の中にいながら、社会から離れたところで生きている若い人たちと出会うたびに、「海の上のピアニスト」という物語を思い出します。彼の名前はナインティハンドレッド・T・D・ レモン。1900年、レモンの箱に入れられて、豪華客船ヴァージニア号に捨てられ、船員たちに拾われた彼は、海の上で育ちます。やがて、ヴァージニア号のピアニストとなり、陸の世界からも注目を浴びながら、一度も陸にあがることなく、海の上で生涯を終えていくのです。

 彼はたった一度だけ、恋をしました。そして、3等船室の乗客だった彼女を追って、陸へあがることを決意します。親友のトランペット吹きから譲られたコートと帽子を着て、下船のタラップに立った時、彼の目に映ったのは高いビルが限りなく街並みでした。世界はあまりにも広く遠く、両足は一歩も動かなくなりました。彼は知ります。自分の知る世界は88のピアノの鍵盤だけ、自分が生きる世界は海の上なのだ、と。

 やがて、ヴァージニア号は廃船処分されることになり、ダイナマイトが仕掛けられます。けれども、彼は船にとどまります。船と一緒に海へと消える人生を選んだのです。ピアノしか知らず、海の上でしか生きられない人生、そんな人生があってもよいと思います。それも人生なのだと思います。けれども、もし、彼があの時あのタラップを降りていたら、ニューヨークの片隅で暮らす美しい少女ともう一度出会い、もしかしたら恋をして、子どもを育て、新しい人生を歩き出していたら、と思うとせつなくなります。

 働きたいのに働けない若い人たち、まるでタラップに立ちすくむ「海の上のピアニスト」のように、広くてかぎりがない世界に踏み出しかねている若い人たちが教えてくれるのは、世界は広くてかぎりがなくて、畏れや不安に満ちているということです。おそらく、海の上のピアニストの時代よりも畏れや不安が増しているからこそ、世界に踏み出せない人たちも増えているのでしょう。

 ファーストフードのように、すぐに作れる、すぐに味わえる暮らし方、働き方を“ファーストライフ”“ファーストワーク”と呼ぶのなら、ファーストライフ、ファーストワークによって、私たちは自分を大切にしたり、他者へ敬意を払ったり、生きている世界に感謝することから遠ざかっています。社会的な成功や蓄財をめざすのではなく、自分と他者と世界を大切にするような“スローライフ”“スローワーク”が時代のさきがけになりつつあることを、私たちはフリーターやニートたちから学べます。

 そして、この世界に畏れと不安が増していても、多くの人たちはそのどこかに居場所を構え、粛々と生きています。居場所が見つからなくて悩む人たちも健気なら、自らの居場所で生きる人たちも健気です。私たちはそれぞれに、この世にたったひとつの存在として、一生懸命に生きているのです。たったひとつの存在としての自分を主人公にして生きる人生を大切にしたいし、大切にする社会を築きたいと願ってやみません。

老若男女のキャリアデザイン vol.1 ライスワークとライフワーク

  • 2010.05.03 Monday
  • 00:23
JUGEMテーマ:キャリアデザイン
ライスワークとライフワーク
〜人は何故、働くのか?〜

[時局 2006 1月号 掲載 / 2010 5月加筆]

 幼い頃から、母方の祖父が僧侶であったと聞かされました。とは言え、祖父が亡くなったのは、愚母が六歳の頃です。母から伝えられた祖父のエピソードは、大変頭がよかったので僧侶の修行に出されたこと、兵庫県高砂のお寺の住職になったこと、高砂の美しい白浜を朝夕、小さい母の手をひいて散歩したこと…くらいです。それなのに、このところ祖父をとても身近に感じます。母が、肌身離さず持っている写真のせいでしょうか。生みの母が、その生みの父を大切に思う気持ちが伝わってくるのかもしれません。
 
 写真で見る祖父は僧衣をまとい、鼻筋のとおった丹精な顔立ちの真ん中の、凛とした眼差しで遠くを見つめています。病で亡くなった若い仏僧はいったい、何を見つめているのでしょう。彼の生家は愛知県江南市にあります。彼の父親、私の曾祖父は仏教に篤く、頭のよい四男を僧侶にしたくて、当地では藤で知られる曼荼羅寺に修行に出したそうです。祖父はその後、京都の大学で仏教を学びました。龍谷大学ではないかと思われますが、今ではよく分かりません。それから、兵庫県村岡町の旧家の養子となり、実家と養子先の財力を頼みに高砂の寺(2009年に高砂市 月西寺と判明)の住職となるものの、病に倒れて実家に戻り、生まれ故郷で人生を終えたそうです。
 
 寺の住職になるほどのお金と時間と気持ちの投資をして、早世した祖父が求めたものは何だったのでしょう。僧侶は格の高い仕事として、息子を僧侶にした曾祖父には何らかしらの想いがあったでしょう。その想いに応え、親元を離れて厳しい修行に出て、大学まで進学した祖父にも、それなりの決意があったものと思えます。その短い人生において、彼は決意を果たし満たすことができたのでしょうか。
 
 人は時に食べるため、生きるために働きます。やりがいは感じられなくても辛くても、収入を得るために“ライスワーク”に就くことがあります。広い地球には、ライスワークに就けない人々もたくさんいて、飢えや病に倒れたりしています。日本でもリストラや倒産などの理由で、仕事を失う人も少なくありません。辛い事実です。一方で、恵まれた環境にありながら、ライスワークに就いている人がいます。

 高度成長期を経て、日本の生活水準は世界のトップクラスになりました。貧富の差も少なく、お金とモノに恵まれています。それなのに、豊かさを実感している人は多くはなさそうです。朝夕の電車では疲れた顔、無表情な顔たちが座席を争い、眠り崩れます。上司とお客の顔色を伺うことに汲々とすれば、疲れも増すでしょう。私たちは果たして、何のために働いているのでしょうか? 働くことには確かに辛いこと、苦しいこと、やりきれないことがついて回りますが、本当にそれだけなのでしょうか?

 地球のどこかに、作りたてのサンドウィッチとコーヒーを屋台で売っている中年女性がいます。見渡すかぎりの草原で牛を放牧している親子がいるかもしれません。ささやかでも仕事を慈しんで生きる人々、収入が高くても高くなくても、その仕事が危険であっても、人が嫌がる仕事でも、与えられた使命に気づき、自分を活かして働く“ライフワーク”に就いている人々がいます。そうした存在を知る度に、モノやお金に恵まれながら、豊かさを実感できない空しさをつくづく感じてしまいます。

 キャリアづくりを支援するという仕事柄、話を聴いたり、話を説いたり、時には祈るような気持ちで人のしあわせを考えたりする昨今、道半ばで亡くなった祖父に生かされているように感じることがあります。また、道半ばで亡くなった祖父を生かしているように感じることもあります。因縁ということばがありますが、祖父と因と縁で結ばれているとしたら、それは誇りです。祖父が僧侶をライフワークとしたように、私は在家のままで人のしあわせを祈り、人がしあわせになる手伝いをし、そのことをとおして自分を育てていきたいと願っています。この世では会ったことのない祖父はその短い生涯によって、自分を人のために活かす人生を教えてくれました。合掌。

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