老若男女のキャリアデザイン vol.3 すべては夢からはじまる
- 2010.06.21 Monday
- 08:52
JUGEMテーマ:キャリアデザイン
すべては夢からはじまる
〜キャリアはいかに築くのか?〜
[時局 2006 3月号 掲載]
その時、私は二十五歳。広告代理店の下請けの制作プロダクションに出入りして、広告文案を書く仕事を請け負っていました。コピーライターという仕事です。プロダクションのひとつに、社長を除けば全員女性という会社がありました。社長は黒子の立場に徹していて、現場のトップは瞳のとても大きな「デメさん」と呼ばれる女性でした。知り合ってまもなく、デメさんは三十歳をむかえ、誕生日会が開かれました。彼女は乾杯の挨拶で、会社を任され好きな仕事とよい仲間にめぐまれ、素敵な三十歳を迎えられて嬉しいと語りました。恥ずかしがり屋の彼女の誇らしげな表情を、昨日のように思い出せます。私はこの時、「三十歳になったら、デメさんのようになりたい」という夢をもちました。
やがて、三十歳になっても彼女と同じようにはなれないと気づいた時には戸惑い、悩みました。そして、気持ちの試行錯誤を経て、二十八歳で母校の商学部に編入してマーケティングを学び、三十歳で銀行系のシンクタンクに入社しました。言ってみれば、出直しです。組織人として、新しい職務である経営コンサルタントとして、新入社員にもどったつもりで仕事に励みました。実のところ、いつかは会社を辞めるだろう、と心のどこかで思いながらの入社でした。とは言え、入社時に具体的な退職プラン、独立プランがあったわけではありません。会社に属した十一年のうちの初めの五年ほどは、会社と運命にほとんど身を委ねていたように思います。
三十路も半ばを過ぎる頃、私らしい働き方は組織人として働くことではない、という確信を強くしました。収入が減っても会社のブランド力を活かせなくなっても、自分にとって意味のある仕事を意味のある方法で全うすることこそ、私らしい働き方であると悟ったのです。それから、真剣に独立を考え始めました。バブル経済はすでに破綻し、事業の内容も顧客も固めずに独立するのが無謀であることは、自明の理でした。それなのに、私的な事情をきっかけに事業内容も曖昧なまま独立をしました。五年前(2006年当時)の節分の頃でした。無計画な独立だったのに、今の自分が在ることは少なからず不思議な気分です。
すべては夢からはじまる・・・。私は三十歳ではなく四十歳で、「デメさんのような私」になりました。十年遅れといえども夢を実現したのは、二十五歳のあの日、その夢を描いたからこそと信じています。夢とはこころのイメージであり、映像です。私たちの脳裏にいったん映像が描かれると、脳はそれを現実と勘違いして、感覚、感情、思考、行動をコントロールし始めるそうです。そこで、私たちは自らが描いた将来像のように感じ、考え、ふるまうようになり、やがて将来像そのものに成っていけます。
将来のキャリアについての映像を<キャリアヴィジョン>と言い、キャリアヴィジョンを描き、目標とプロセスを設計することを<キャリデザイン>と言います。私たちはキャリアデザインによって、自らの将来を実現する力を得ることができます。もっとも、キャリアヴィジョンは簡単には描けないかもしれません。それは神様がプレゼントしてくれる、インスピレーションのようなものです。けれども、ヴィジョンとは映像ですからデメさんのような<ロールモデル>、生き方や働き方のお手本になる人が見つけると描きやすいかもしれません。さらに、デザインが進まない時期もあるでしょう。私もいつか会社を辞めるだろうと思いつつ、目先の仕事に追われ、将来を見つめることのない年月がありました。独立を意識してからも、具体的なプランはなかなか描けませんでした。それでも、二十五歳のあの日から、私は私の脳の勘違いに導かれて夢を実現し、今の私に成りました。
さあ、自らのこころに問い、こころの声を聞き、自らが望む将来をヴィジョンとして描きましょう。こころの声が聞こえてこない時には、すべきことを果たしながら時が熟するのを待ちながら諦めないで焦らないで、こころが声をあげるまで根気よく問いましょう。私たちには、自らが望むものを手に入れる力があります。だからまず、自らのこころに問いかけるのです。私は何を望んでいるのですか、と・・・。