3.14が命日! 浅野内匠頭 刃傷の日に想う、「義」のために生きるということ。年収100万円の忠臣蔵浪士の「ひととしての務め」に胸を打たれました!
- 2014.03.14 Friday
- 12:46
JUGEMテーマ:コラム
3月14日は、浅野内匠頭長矩の命日です。
内匠頭(たくみのかみ)は「忠臣蔵」の中心人物
江戸城松の廊下で刃傷事件をおこしたお殿さまです。
それはそれは、ずっとずっと不思議でした。
一国のリーダーたるお殿さまが、殿中で
なぜ、刃傷におよんだのか?
そんなことをすれば、切腹は必須、家は断絶
一族郎党が路頭に迷うことは、分っていたはず…
そのなのに、刃を抜いたのは、なぜか?
そして、後を顧みなかったリーダーのために
命を捨て、家族の身を危険にさらして
浪士たちが討ち入りをしたのは、なぜか?
浪士たちが討ち入りをしたのは、なぜか?
本当に本当に、不思議でした。
そして、その「文脈」を知りたいと想い
命日を機に、史実をひもといてみました。
キーワードは「武士の一分」。
エッセンスは「義」に生きる…。
「一分」とは、「面目」と同じような意味で
「武士の一分」とは、武士としての誇りを傷つけられて
譲れない一線、というようなこと…とか。
逆上しやすいとも言われた内匠頭は
老中(幕閣)の前で、上野介から非難され
その直後に、刃傷に及びました。
殿中で刀を抜けば、切腹とわかっていて抜いた…
内匠頭には、命よりも家の存続よりも家来の生活よりも
メンツが大事だったわけです。
これが「武士の一分」であるというならば
やりきれない想いが残ります。
一兵卒ならまだしも、リーダーたるもの
殿中の「義」に従い、高家のいじわるに耐え
リーダーとして、家と家来を守り抜くことこそ
「君主の一分」ではなかったのか…と。
一方、浪士たちは…
浪士のひとり神崎与五郎が、討ち入り前
妻に贈った手紙に、その想いが表れています。
さむらいのつまたるものの
さやうなるはあしく候まま
よくよく心にて心をとりなをし候へく候
そのかたこひしく候ても
これは人たるもののつとめにて候
侍の妻だから取り乱していけない
わたしくも、おまえを恋しいと思っているが
これは「人たるもののつとめ」なのだ
…と綴った神崎は、五両三人扶持の足軽徒目付
いまに換算すると、年収(100万円+5合/日×3人分の米)
ワーキングプアのような生活のなかでも
武士の誇りを全うする生き方に胸がうたれます。
喧嘩両成敗が「天下の大法」でもあった時代
喧嘩をすれば、「双方とも切腹」という定め。
にも関わらず、イヌ将軍として知られる家綱の沙汰は
内匠頭には切腹、上野介には見舞いの言葉でした。
喧嘩両成敗という「義」には、とおらない沙汰に
「家中の武士の一分が立たない」と、切々とつづる
堀部安兵衛の手紙が残っています。
義とは「正しいこと」というような意味です。
赤穂浪士たちが、当時の大衆に賞賛されたのは
「義」をとおし、正そうとする「武士の一分」に
共感するたくさんの人たちがいたのでしょう。
正しいことは、時代の文脈の中で移り変わります。
浪士たちが守ろうとした「武士の一分」は
もはや「義」とはいえないかもしれません。
それにもかかわらず、赤穂浪士の討ち入りが
「忠臣蔵」として、後世まで語り継がれているのは
何かしらの共感があるからにほかなりません。
「義」のために死ぬのは、武士の文脈だとしても
「義」のために生きるという文脈はきっと
いまでも継がれ、これからも継がれていくのでしょう。
わたくしたちの時代の「義」とは、何なのか
考え続けたいと思う、内匠頭の命日です。
冷光院殿前少将朝散大夫吹毛玄利大居士
泉岳寺に眠る、冷光院さまの冥福をお祈りします。